Do everything short of

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第十二話 Jerryの公判で、証人席で証言するShirleyに対して、Alanは反 対尋問に挑みます。Jerryを法廷に引きずり出し、法の裁きを下そうというのは、15年も勤務してきた忠実な部下の一瞬の血迷いに対する仕打ちとしてはひ どすぎるんじゃないか、という論戦に持ち込むのがAlanの目論見のようです。

A gifted, eccentric and loyal employee who worked for fifteen years on a promise, momentarily lost control of his senses when his one dream was taken away.  And yet the D.A.’s office has charged my client with everything short of the Lindberg kidnapping, because ultimately they’re just following orders from the great and powerful Schmidt.

才能があって、奇人、それでいて忠誠な従業員は、希望を胸に15年も働き続けて きたが、一つの夢を奪われたときに一瞬だけ自身の制御を失った。それでもD.A.の事務局は私の依頼人をLindberg誘拐事件ばりに起訴している、な ぜなら結局のところ彼らはただ偉大で強力なSchmidtの命令に従っているだけだから。

everything に short of~を併せて、「~にちょっと足りないeverything」となります。「ほぼ全量」、を示唆する分量を表現したいときにalmostとかではなくeverything short of~を使って「ほとんど~」、「~ に満たない全て」、というのは、「~」の部分で具体的なイメージもちょっと付けてあげられたりして、響きも良くぜひ使ってみたいです。

do everything short of: ~以外は何でもする
  • She did everything short of prostitution to live.
  • 生きるために体を売る以外のことなら何でもやった
(英辞郎) 

Lindberg kidnapping


Lindbergは、1927年に大西洋単独無着陸飛行に初めて成功し、 1931年には北太平洋横断飛行にも成功したご存知アメリカの飛行機乗りです。大恐慌最中の1932年に、このリンドバーグの赤ん坊が誘拐された事件がAlanの台詞に登場するLindberg kidnappingです。事件のドラマチックな展開と身代金交渉の末に一旦は犯人の手に落ちたかと思われた誘拐事件でしたが、後に犯人は逮捕され処刑されました。

しかしながら実は 冤罪だったのではないか、またリンドバーグ本人も事件に関わっていたのではないか、などリンドバーグ本人の性癖も手伝って事件は様々な憶測を呼びました
。またこの事件がアガサ・クリスティの『オリエント急行殺人事件』の序盤で登場する誘拐事件のタネになっているというのはよく指摘されるところです。

法律的に事件が果たした役割は大きく、まだFBIができていない頃の本事件で赤ん坊の残忍な遺体が発見され、複数州にまたがる誘拐犯行は連邦犯罪とし、州を跨いでも迅速な警察対応を可能にするFederal Kidnapping Act(通称リンドバーグ法)が成立することとなりました。

フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 リンドバーグ愛児誘拐事件

偉大な飛行機乗りの赤ん坊ということで、当時の軍人等が事件解決に躍起になり、 事件を強行に解決したことで知られ、この会話例でも「Lindberg誘拐事件ばりに起訴している」と半ば嘲笑的に引かれています。Schmidtから は、ナチス・ドイツの航空機Messerschmittが連想されるわけですが、そのつながりでLindberg kidnappingを引いているとしたら航空機つながりで手の込んだ脚本と評価できますね(考え過ぎ?)。

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参考までにリンドバーグ誘拐事件について記します。
参考までにリンドバーグ誘拐事件について記します。
http://en.wikipedia.org/wiki/Lindbergh_kidnapping

1932年3月1日、アメリカの飛行家Charles Augustus Lindberghの1歳8ヶ月になる息子がNew Jerseyの自宅で忽然と姿を消し、不可解な幾何学図柄のついた身代金を要求する稚拙な文法ミスのあるドイツ語を母国語とする者が書いたと思われるメモが見つかりました。家に入り込んだルートと思われる手作りの木のはしごや部屋からは、犯人はおろかLindberghや赤ん坊の指紋さえ見つからないという奇妙な事件で、大恐慌の最中に高額の報奨金がLindbergから懸けられたということもあり、偉大な飛行機乗りの身内の誘拐という社会性を帯びた事件は多くの軍人や警察が積極的に関与する事態となりました。

この事件がドラマチックなところは、犯人逮捕までの展開です。まず身代金は数回に渡り同じ消印の郵便で要求されてきます。また途中、John F Condonなる72歳の元教師の老人が新聞を通じて自らも誘拐事件の報奨金を出して協力したいと宣言すると、Condonは犯人からLindbergh との間の身代金/赤ん坊受渡の仲介に指名され、CondonはLindbergh了解のもと警察には内密で犯人と接触するようになります。数度の犯人との接触の後、身代金は金兌換券として犯人側に渡りますが、赤ん坊は不幸なことに同年5月12日、ばらばらの遺体で発見され、そのショッキングな出来事を機に先述のリンドバーグ法が成立することとなりました。

Condonを含めLindberghの家政婦など数名が犯人として疑われ、尋問に苦しんだ家政婦は自殺してしまいます。のちに換金された兌換券を頼りに警察は犯人をつきとめ、1934年9月に前科持ちでドイツ系の大工Bruno Richard Hauptmannを逮捕します。Hauptmannの家は身代金を要求する郵便の消印と同じ地域でした。Hauptmannは、兌換券は友人(友人はドイツへ帰って死んでしまったと主張)からもらったものだ、として自身の事件への関与を否定しますが、1935年1月2日から始まった裁判は2月13日の死刑宣告で幕を閉じ、Hauptmannは1936年4月3日に電気椅子で処刑されました。

誘拐現場のはしごと似たはしごの図面やはしごがHauptmannの家の床材で出来ていた事実、また事件に関するメモやCondonの電話番号がHauptmannの家の壁に彫られていたこともHauptmannを犯人とする状況証拠になりましたが、 Hauptmannは終始無罪を主張し、Hauptmann死後も未亡人はずっと主人の無実を主張してきました。また身代金要求メモにあった幾何学模様のある家具も別途発見され、家具にはHauptmannの無罪を仄めかす落書きもあったりしました。

事件を検証したり真犯人を追う行為は続々と登場しましたが(なんと2003年の特番まで!)、事件はHauptmannを犯人として一応の決着を見ています。2003年の特番でも(謎は多いけれども、という前置きをしながら)Hauptmann犯人説を証明しています。

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